ごあいさつ

人生は旅である、とは古来よく言われてきたことです。
重い荷物を積んでサハラやシルクロードを行くのは厳しい旅です。降水量のすくない乾燥地帯で例外的に湧水等の安定した水源が得られる場所が現れる事がありオアシスと呼ばれます。隊商は水と食料を補給するためにオアシスを経由します。サハラ交易や中国と欧州を結んだシルクロード交易のルート上には多くのオアシス都市が栄えました。敦煌、楼蘭、トルファン等は有名です。
いつ盗賊に襲われるか、水や食料が尽きるか分からないのです。当時の人々がオアシスに辿り着いた時の喜びは如何ばかりであったことでしょう。

人生という長い旅の途中で思いがけず病を得たり、少し疲れてしまったりする事は誰にもあるでしょう。そんな時に幾らかの安心と癒しを提供できて、また旅を続ける手助けをしたいと願い、この診療所は開設されました。わたしたちの診療所はいわば都市におけるオアシス(アーバン・オアシス)です。

院長 小濱清隆

経歴

  • 鳥取大学大学医学部卒業
  • 同大学院医学系研究科博士課程終了
  • 同付属病院研修医
  • 公立加東市民病院医員
  • 日本赤十字社鳥取赤十字病院内科医師
  • 国家公務員共済組合連合会東北公済病院内科医長
  • 東京都立病院機構多摩南部地域病院内科医長
  • 公立福生病院内科部長
  • オアシス・メディカル(相模大野オアシス内科・内視鏡科クリニック)開設

資格

  • 医学博士
  • 日本内科学会総合内科専門医
  • 日本消化器病学会専門医
  • 日本肝臓学会専門医
  • 日本消化器内視鏡学会専門医
  • 日本ヘリコバクター学会認定医
  • 難病指定医
  • 身体障害者福祉法第15条指定医

記者がオアシス・メディカルを訪問して
開設者に質問しました。
インタビューを掲載します。

まず、診療所の開設者さんの経歴からお聞きしましょう。

親の代で東京の下町深川から町田市に移りそこで生まれました。地方の国立大学を卒業して、消化器・血液・腎臓内科をやっていた教室に入局しました。
大学の附属病院と関連病院で研修しました。
その後、どうしても研究がしたくなり大学院に入りました。当時新棟が建設されたばかりの遺伝子実験施設は活気に満ちていて、自分も昼夜違わず実験に明け暮れました。
その間、海外の学会で発表したり、米国のペンシルバニア大学のラボを訪問したりしました。楽しい日々でした。

The University of Pennsylvania
The University of Pennsylvania

それからまた臨床の現場に戻ったのですか。

そうです。
研究が一段落ついたので、臨床の現場で還元したいと思いました。縁があって杜の都仙台の公務員共済組合連合会の病院で働くことになりました。
ちょうどその頃、早期胃がんや早期大腸がんを内視鏡で切除する新しい治療が日本から海外に向けて発信される黎明期でした。
それまで外科的に切除するほかなかったものを内視鏡で切除できるようになったわけですから大きなパラダイムシフトで世界に衝撃を与えました。
自分は幸運なことに連合会病院の内地留学制度を利用して虎の門病院の矢作直久先生の元で研修する機会を得ました。
同じ時期に国立がん研究センターで後藤田卓志先生にも教えて頂きました。世界に先駆けて新しい内視鏡治療を開発した偉大な先生です。

虎の門病院

体に負担の少ない治療が日本で開発されて世界に広がったのですね。

消化器病の領域では今も日本が世界のトップランナーであり続けていると思います。侵襲の少ない治療が普及したことは、臨床の現場にいるものにとって本当に有り難いことでした。

東京に戻るきっかけは何でしたか。

その後、家庭の事情もあって地元に戻り、都立病院で勤務しました。
消化管の腫瘍性病変だけでなく、潰瘍性大腸炎、クローン病などの炎症性腸疾患、B型C型のウイルス肝炎、自己免疫性肝炎、原発性胆汁性胆管炎、脂肪肝などの肝臓病、慢性膵炎、逆流性食道炎、ピロリ菌感染の胃炎などを診療してきました。
さらに、高血圧、脂質異常症、糖尿病、高尿酸血症などの生活習慣病も診るようになり、内科医としては診療の幅がかなり広がったように感じました。

前任地ではどんな仕事をしていましたか。

自治体の公立病院に異動になりました。
従来と同じように、外来診療をして病棟の入院患者さんを担当し、内視鏡などの検査をしていました。
徐々に管理の仕事も増えましたが、やはり自分は現場のほうが好きだなあと思いました。
いちばんひどかったのはやはりコロナです。
あの時は、通常の一般診療が全てストップしてしまいました。
入院した患者さんがあっという間に重症肺炎になり呼吸不全、気管内挿管、人工呼吸器、ECMOに行きました。
治療法も確立しておらず、インターネットで海外の医師と情報交換し手探りでやってきました。ワクチンもありませんでしたから、自分もいつ感染するかという不安もありました。
東京都の酸素ステーションにも派遣されて働きました。

デルタ株が猛威をふるった頃ですか。

そう、初期のデルタ株の頃ですね。
その後、治療薬も開発され、皆さんがワクチン接種をするようになり、ようやくコロナが終息すると、今度は自分が脱力状態になってしまいました。
自分は病院でやれることはもう一通りやったなあ、と思うようになりました。
かつて教えを受けた「野の花診療所」の徳永進先生の先駆的な立派なお仕事を思い出していました。

先ほど、コロナの時は一般診療が止まってしまったというお話でした。コロナが明けると、それまで受診控えしていた患者さんが病院に戻ってきたわけですね。

受診を控えていたために、もうかなり進行してしまった胃がん、大腸がん、膵がん、肝がんなどをもった方、放置してしまった高血圧、糖尿病などが悪化した方を多く診るようになりました。
早く検査して診断すれば、手術しなくても内視鏡で治療が完結できたのにとか、手術は必要としても病巣を取り切れて完治できたのに、といった患者さんを目の前にすると一種の焦燥感を覚えました。
その頃、街の診療所で気軽に相談できるところを開けないかなあ、と思うようになりました。

国立がん研究センター

このクリニックではどんな診療をしていますか。

ちょっとした体調の不安でもお気軽にご相談頂けます。
予約システムはWebから利用できますが、当日、予約がなくても受診して頂けます。
内科一般の領域で幅広く最新の知見を取り入れて最適な治療をできるよう努めています。
街のクリニックですが、大きな病院と遜色ない質の高い医療を提供できるようにしています。
内視鏡は、世界で最初に実用的な胃カメラを開発し、いまも消化器内視鏡の世界シェアの70%を占めるオリンパス社の最上位システムX-1を入れています。
エコーやレントゲンや生化学検査その他の医療機器も高性能のものを揃えています。当院で治療困難な疾患は、速やかに専門病院にご紹介いたします。
居心地のよい空間でありたいと願い、什器なども特別にあつらえました。
少しでも皆様のお役に立てるよう心を込めて診療してまいります。

院長 小濱清隆